忘れられる戦争の記憶

暴力は、弱さの一つの形である(ドミニク・ロシュトー(フランス))

サンキュボウヤです。

日本では、8月15日は終戦の日になっています。
先の大戦で、日本がポツダム宣言の受諾を連合国側に通達した日です。

私たち戦後生まれ、特に高度経済成長以降に育った日本人にとっては
平和が当たり前で、終戦の日と言われても、
特になんら感情が出てくるわけではありません。


ところで、八戸市も空襲にあった事は皆さんご存知でしょうか?
他の大都市と比べると規模の小さいものになりますが
八戸も空襲に会いました。

7月14日
580機の米軍艦載機が青森県を空襲
青函連絡船全滅
八戸市も機銃掃射を受けます。

7月15日
483機の米軍艦載機が再度青森県を空襲
陸軍高舘飛行場、日東化学、日本砂鉄、磐城セメント、海軍三沢飛行場攻撃

2日間で、青森県の死者行方不明者452人。

8月9日
米軍艦載機による空襲。鮫港の海防艦稲木撃沈。戦死者29人。重軽傷者83人

8月10日
米軍艦載機による空襲。馬淵川鉄橋破壊。鮫駅周辺の石油タンク破壊。民家15軒類焼。
(参照 わが郷土八戸 八戸市中学校社会科教育研究会発行)

DSCF2988.jpg

この書籍には、戦争時に撮られた八戸の写真ものっておりました。


それと、
私の祖父と祖母が八戸の空襲に体験しました。
しかし、数年前に他界した祖父は、八戸空襲の事はまったく話すことはありませんでした。
戦争の話といえば、零戦の話と駆逐艦に乗っていた兄弟がミッドウェー島で戦死した話を聞きました。
(情報統制の元事実かは不明ですが、ミッドウェー海戦時駆逐艦1隻が米軍の攻撃で中破している)

祖母からは、
鮫駅が空襲された際に、逃げ遅れた人が機銃掃射を受けて亡くなった話と
防空壕に爆弾が直撃し祖父の兄弟が亡くなった話を聞かせてもらいました。

あと、
高舘飛行場にいったり、是川の陣地構築のためセメントを運んだ
話を聞かせてもらいました。


青森のような田舎ですら何百機と艦載機をよこすほど
日本は破壊しつくされ追い詰められていたんですね・・・



戦争反対と言ってるだけじゃ、平和は訪れませんが、

私たちの住む八戸市も
このように戦争の被害を受け亡くなった人も大勢いる。
そして、軍に入り八戸から戦地へ行き亡くなった方も大勢いる。

その事は、忘れないでいる事が必要なのかなと思います。

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